クリスマス・お正月

クリスマス・お正月

冬の祝日シーズンは10日の終わりのハローウィン,11月の感謝祭など  アメリカらしい行事から始まる夏時間も変更され急激に日没が早くなり長く  寒い冬が始まろうとしていた。ハローウィンは子供たちのお祭りでさまざま  なお婆化に子供たちが紛争して各家の玄関をおとずれ「トリック・オア・ト  リート」と叫ぶ。チョコレートをあげるとそのまま帰るがあげないとトリツ  クをかけるということだ。このためテレビのコマーシャルはチョコレートの  宣伝であふれている。感謝祭は、七面鳥やクレンベリーソースを使った料理  で祝う。4日間の連休になる会社が多いので旅行をする人も多い。そして1  2月に入ると街は日本の師走と同じようにあわただしくクリスマスの飾りつ  けプレゼントの買い出しなどにぎやかになり、活気が満ちて来る。アメリカ  人も日本人と同じように気が早いのか街はすでにクリスマス気分にひたって  いる。ニューヨークに出かけて行ってもいつもせわしない街がよけいせわし  なくなり、毛皮のコートをはおって白い息をはく人たちでごったがえしてい  る。有名な五番街のデパートもツリーの飾りつけをし、ロックフェラーセン  ターでは大きいモミの木(実物)が立てられているる地面のマンホールの穴  からは白い湯気が立ちこめてその上を大型タクシーがビュンビュンとばして  いく。ニューヨークの一香ニューヨークらしいのはこのクリスマスの近い時  期ではないかと思った。スタンフォードでもスーパーマーケットは大売り出  しで私もノーマの買ものも手伝い友人へのプレゼントの買いものギター講座  の発表会の準備などなんとなく忙しい。それにビザの変更(B1からFに),  フロリダへの移動の準備など実際に雑用も多かった時期でもあり、よりあわ  ただしさを感じた。クリスマスパーティは早いものは12月の初めからやる  ものもあり、毎週末は感謝祭以降、CBS,AFS,友人宅,YMCA関係  など必ず何かに出席することになる。実際のクリスマスの日には各家庭でみ  ずいらずで祝うのが普通で、ふだんはなればなれに生活していてもこの日だ  けは、家族全員集まっているようだ。私の下宿していたパールスティン家は  ユダヤ系であったのでクリスマスはなく、街全体がクリスマス気分なのに何  とも気のどくな感じがした。息子たちもクリスマスはあきらめきっている様  子で自宅でテレビなどを見ている。それでもビング・クロスビーの「ホワイ  ト・クリスマス」の再放映などを見て喜んでいるのだから気楽なものだ。私  は、友人のラリーの家族から招待を受けていたのでイブとクリスマスをプロ  テスタントの家族たちと過ごすことになった。24日のイブは夕方6時頃か  ら始まる教会の庭で開かれたクリスマス・キャロルの合唱に参加した。庭に  は数千人の人々が手にろうそくやフラッシュライトを持って集り、こごえる  ような寒さだが賛美歌を合唱した。そのあと3つのクリスマスを夜中の3時  頃になるまでラリーとかけもちで参加した。プロテスタントのイブはミサ(  Math)もなく日本のクリスマスのように気軽なものである。カトリック  の家はもう少し敬謙でより宗教的な感じの深いイブになるのだと思う。ユダ  ヤ教は一番自分たちの宗教に関し非常に強く意識し、規律も他に比べ厳しい  ようだ。ふだんはあまり気がつかない面だが注意して観察するとそれぞれの  宗教の異いがさまざまな生活面にまで影響を扱しているのが見られアメリカ  の大きな一断面を見ているようで興味深い。翌、25日の朝は隣の町のノー  ウォークにあるラリーの両親宅を訪ね午前中は正装をして教会に行き、賛美  歌を歌ったり説教を聞いたりして過ごし、午後は家族が集り、プレゼントの  交換がはじまる。そのうち彼らのガールフレンドもやって来てツリーの下に  山積みになっている箱を1つ1つ名前を読みあげながら、配り箱をあけて歓  声をあげたりしている。ニューヨークでは日本のものはたいていあるので買  っておき、彼らにプレゼントした。思いがけず多くのプレゼントを私ももら  い多いにクリスマス気分にひたることができた。夕方になると他のお客をま  じえてディナーが始まり、1日中家族で過ごしていた。こうしてみるとアメ  リカのクリスマスは日本のお正月と似ているように思えて来た。つまり前の  日の夜又は午前中に教会でお参り、そのあと家族で集まって食事をしたり親  類がたずねて来たりお客が来たりする。どちらにせよクリスマスは日本のお  正月と同様彼らにとって最大の祝日であろう。ではアメリカのお正月はどう  だろうか。私の感じたところでは、彼らにとり単に新しい年が来たにすぎず  淡泊なものだった。人によっては夜どうしのパーティを開くところもあるの  で場所によりだいぶムードが異るのは確かだ。私は冬にバケーションをとり、  夏に家族滞在をしていたソイニネン家のさそいでバーモント州のイーストバ  ークという山の中で新年を向かえることになった。彼らはその山のスキー場  の近くに別荘をもっており、毎年クリスマスが終わってからニューイヤーに  かけてスキーをしながら過ごすとのことだった。イーストバークはバーモン  ト州のかなり北の方の位置しカナダ国境にも近くスキー場にはアメリカとカ  ナダの両国旗が上がっていた。スキー場はリフトなどの設備もかなりととの  っておりコースもバラエティに富んで景色も美しいところだった。しかしシ  ーズン中は込み合いリフトも20分は待たないと乗れないような状態のとき  もよくあった。またスキー場には、有色人種のすがたは全く見かけなかった。  大みそかの日もその別荘で過ごしたがとくに大さわぎする様子もなく、子供  たちはいつものように早くねてしまい大人たちは他の親類のものが集りカー  ドをしたり歌を歌ったりだんろを囲んで遅くまで話をしている程度である。  テレビではニューヨークのタイムズスクウェアーからの大ぜいの人たちが集  り、新年を向かえる様子を中継していた。新年があけると別荘の中でもみん  なで“ハッピーニューイヤー”といって抱き合ったりキスしたりするが彼ら  にとっては日本のようにそれほど重要な日ではないようである。

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