アメリカン・ミドル・クラス(ソイニネン家)

アメリカン・ミドル・クラス(ソイニネン家)

最近は日本でも自称ミドル・クラスは90%ぐらいいるそうだが、この家庭滞在で改めてアメリカの中流階級の幅の広さと生活の豊かさを強く認識した。単に中流といっても定義づけが難しいが、ここでは一般サラリーマンの家庭を対象にすればよいと思う。アメリカでも医者と弁護士は金持ちとされているのでその辺になってくるより豪華な暮しぶりになる。
SITでの授業を終了した後、(BSテクノロジーセンターに移る前、約3週間コネチカット州のコロチェスターに住むソイニネェン家の家庭に滞在した。彼らの職業は夫婦とも教師でご主人のトムはハートフォード高校の英語(国語),奥さんのアリスはケント小学校(いずれもコネチカット州)の体育の教師であった。それぞれ$15,000~20,000である。決して高給とりではないが共働きであること、それにアリスの両親が名門の出だということでその余韻でかなり裕福な暮しができるのだと思う。子供は3人で長女のジュリー(13才),次女のアン(10才),長男ジョン(4才)である。やはりアメリカの子供らしく、快活で可愛いが、マクスウェル家の子供たちよりややソフトスティケィティドな感じがした。それは両親が教師でもあり、子供の教育には熱心でジュリーは中学校の生徒会長、アンは勉強の進んでいる生徒の入れるエンリツチメント・クラスに入っている。ジョンはまだ小さく将来はどうなるか楽しみだとアリスがいっていた。両親の子供たちへの期待はことのほか大きいようで一般のアメリカ人がユダヤ系をのぞき教育に無関心であることを批判していた。そしてジュリーなどは将来を見込まれて車で30分もかかるニューロンドンの名門私立中学校に通っているのだ。しかし日本のガリ勉タイプではなく私の滞在中一度もジュリーやアンが机に向かって勉強しているすがたを見たことがなかった。滞在の前半は夏休みでもあり毎日家族でキャンプに行ったり、海に行ったり、パーティ乗馬(庭に馬を飼っている)、庭の棚作りなどなどで日が暮れてしまう。こうしてみると勉強は学校でしかしないように見える。ただし本はよく読んでいてジュリーの部屋に行くとペーパーバックスがいくつもの本箱にならんでいる。しかしトムによるとジュリーは読むよりも本を集めるのが好きなのだといっていた。ジュリーやアンの学校で書いた作文などなかなかのものらしい。(見せてもらったが評価は難しい。しかしAがついていた。)ジュリーは小説家志望だそうで大学に入ったら英文学をとると言っている。大学といえばアメリカの大学生は本当によく勉強するようだ。とくにいわゆる有名大学の学生は熱心でコネチカットのニューヘブンにあるエール大学の友人を訪れたときも寮に帰ってからも深夜まであかりをともして勉強をしていた。奥さんのアリスは世話女房で話し好きの何にでも積極的なアメリカによくいるタイプだった。始め会ったときは、神経が太そうであまり繊細なセンスはないのかと思ったら、どうしてなかなかきめ細かいことにも気をつかって物事をテキパキ処理して行くのでこれはアメリカ的な良妻ではないかと思った。日本の主婦のように仕事を持っていなく、家に居るタイプはあまりアメリカでは見かけない。たいてい仕事をするか地域活動をするか、よく「病気でない人以外は主婦でも外に出る」のが普通といわれる。物事の割の切り方でもアメリカの家庭はよりはっきりとしている。つまり物事を常に明確にしておかないと物事が進まないし、立場さえも不安定になってしまう。従ってどんなにつまらないことでも、理由を述べて相手に納得させるように心がけると全てがスムーズにはこぶ。めんどうのようだが英語の長所はここにあるようで非常にクリアーに意志が伝えられるようにできているので馴れてしまえば楽だし、またそうする方がはるかに合理的だ。日本語で考えるとぼんやりさせておきたい表現でも英語ならばはっきりと使える。(使わざるを得ない)基本的なところではYes.Noがはっきりしているとか自分の意志の表現がシンプルであまりていねいな言葉を使わなくてもそれほど失礼にならない。それにもう一つ頭に入れておくことはGive and Takeの精神だと思う。親切をしてもらったらThank youをいうのはもちろんだが、何か形にして表現するととくにアメリカ人はとても喜ぶ。例えば家庭滞在している間はそれ自体相手からTakeしているのでいろいろな形のGiveを考えなければならないし、個々の事柄についても何らかの意志表示が重要である。 ここで彼らの生活ぶりについて少しふれることにする。この家のあるコロチェスターは小さな田舎町で町の中心にマーケットが2~3ケ所レストランなど数件あるだけで大きな買い物は車で30分のハートフォードまで出かけて行かなければならない。ソイニネン家はそのまま郊外にあるので広大な森を含む土地と大きな家を持っていた。さらに森のそばには美しい湖も点々とあり、天国にいるようなのんびりとした暮しぶりである。そして彼らはこの広い土地を利用して小さな牧場を作り、食用の牛豚を買っており、野菜畑もある。また馬は一種のペットとして犬と同様にかわいがられている。しかしこれだけのものを家族だけで世話をしているので全員毎日何かと忙しそうに動き回っている。いくら忙しくても全てを自分たちでやっていくのが彼らの流儀のようだ。週末などは、湖畔にある近くの友人宅に遊びに行ったり、ミスティックにある(コネチカ州の海岸の町)彼らの別荘に行き、カヌー,ヨット,モーターボート,テニス水上スキーなどを一緒に楽しんだ。ミスティックの海岸は彼らの親類や友人どうしで所有しているプライベートな浜辺があり、いつでも他人にじゃまされずバケーションを楽しむことができる。近くに大きなパプリックの海岸があると聞いたので私我みんなで行こうと提案したのだがトムは、そこは異う種類の人たちが来ているのであまり行くのは気がすすまないといっていた。帰途そばを通ったので寄ってみると、たしかに人種の異いではなく、ソイニネン家に比べると多少俗っぽい人たちが多く集まっており、(平均的アメリカ人なのだが)トランジスタラジオをガンガンかけて踊っていたり、そばの女の子に口笛を吹いたりしていた。私にとっては一見プライベートの海岸よりもおもろしろそうに見えたのだが。
ミスティックの海岸の外にアリスの両親がバーモントのイーストバーグとフロリダのマイアミにも別荘を持っているそうでなんともうらやましい生活ぶりだった。そして子供たちののびのびとした成長ぶりを見ていると物質文明もコントロールさえまちがえなければ心も豊かに生活ができるのではないかと思った。家庭での子供のしつけは厳しいものではなかったがアメリカの常識的なマナーはきちんと守られてた。例えば食事中子供たちは席を立つことはできなかったし、アンとジュリーが見たいテレビがあって食事を早くすませ、“Excuseus?”と聞いてもたいてい答えは“No”のとが多くテーブルからはなれることはできなかった。食事中よけいな音を出すことは最も基本的なマナーに反すること私について言えばゲップこそ出さないがスープはどうしても音が出てしまうので最初に食事をするときに日本ではそういうマナーはないことがありどうしても出ることがある由をことわっておくとあとが楽である。口に出して注意されたことは一度もないが彼らにしてみるとそうとう驚いているらしい。一年たってほぼ無意識に音を出さずにスープやお茶を飲めるようになったが、日本に帰り他人が音を出してみそ汁を飲んでいるのを聞くとギクッとすることがある。なれてしまうと他の風習が奇異にみえてきて、音をたててスープを飲むのを見ていると動物がエサを食べているように見えてくるのは全く不思議である。所かわれば……
従ってアメリカ人とこの話になると必ず私はアラビアでは、おいしい物を食べたとき必ずゲップを出す習慣があるという話をすることにしている。食事のとき、もう一つ気の付くことはムード作りに非常に気を使っている。お客の居るときだけかと思うと毎日いろいろ工夫して、レストランのようなふんいきが出るように、トムがいろいろ考えているようだ。食事のときは調光器であかりをやや暗くおとしてたまにバックグランドミュージックを小さくかけたり、ろうそくをつけたりなかなか凝っている。
9月の中頃になりスタンフォードに出発する日が近くなった。その間いろいろな計画を私のために用意してくれ、ロードアイランド州マサチューセッツ州、バーモント州などにまたがってドライブ旅行などにもつき合ってくれた。その後CBSに移ってからも、パーティに何度か、スキーにも正月につれて行ってもらいスタンフォードの下宿の世話までしてくれた。アメリカ滞在中一番お世話になった家庭ということがいえる。こちらも彼らに協力して手伝いをしたり、日本のことに関しできるだけ話すように心がけていたがどれだけのことができたかわからない。将来自分に余裕があれば日本で外国の留学生の世話を少しでもできれば、違った形で恩返しができると思う。最後の晩、ソイニネン家を通じて知り合った人たちが集まってくれてかんたんなパーティをした。しかしその3週間はよくも効率的に遊んだり活動したりしたものだと思う。何しろ毎日新しい人に紹介され、家庭滞在でうまくやって行くには第一に子供たちと仲よくなることだと思う。アメリカの子供は親切だし気やすい、それに話していて充分に大人(私)にもおもしろいのですぐ意気投合する。あとは積極性を持って何でもやれば彼らは何でも協力してくれる。出発の朝、地元紙の記者が来て滞在の様子を記事にしたいという申し入れがあった。かんたんなインタビューをして、次の週に記事になった。コロチェスターのような小さな町では日本人が来ること自体でニュースになるのだ。そのとき、トムの教えている高校とアンの通っている小学校の設備が良いと話したらあとでかなり大げさに誇張した記事になって載っていた。
インタビューといえばこの頃からアメリカ人とのインタビューテープを集め始めていたのでジュリーにいろいろテープレコーダーとマイクを持って聞きに行った。さすがに生徒会長だけありハキハキ答えておりとても13才の子供とは思えない。いじわるく人種差別の問題、カーター政権の問題点などを聞いてみてもものすごくしかっかりした意見がスラスラと出て来るのには驚いた。そしてその御こんどはアンが私にABCの女性ニュースキャスターのバーバラ・ウォータースのこわ色をしながら質問した。最後の日は家族全員でスタンフォードまで見送りに来てくれ、中華レストランで食事をしながらプレゼントの交換をした。夫妻には日本の織り物、女流作家志望のジュリーには日本語,英語の対訳の本を、アンにはよく一緒にショーン、キャワティ(アメリカの人気ポピュラー歌手)を歌っていたこともあり、そのLPを、ジョンはテレビのセサミ・ストリートに夢中なのでその絵本というぐあいだった。彼らにいわせるとニー!(neat)だそうで大変よろこんでもらえた。この家庭滞在はアメリカ人の生活を知る上でも大変有意義だったがアメリカ人の生活といっても多種多様で私のこのとき体験したのは、もちろんニューイングランド地方に住む白人の一家族であったことをつけ加えておかねばならないだろう。つまり、アメリカはその国の広さと移民による多様の人種により各家庭により全く異なった生活様式・物の考え方を持っておりアメリカについて語るときは常にこの2点を頭の中に入れておかねばならないと思う。

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